紀元前から伝わる千葉のパワースポット”安房神社”を徹底解説!!

千葉 安房神社 古代日本では八社しかない神郡を持つ各式ある神社”安房神社”にやって来ました!! この神社の創建は神話時代に遡り、日本の初代天皇の「神武天皇元年」(西暦紀元前660年)と伝わります。 時代の変遷の中、人々に忘れられつつある神社ですが、実際に行ってみると、この格式ある神社からは沢山の魅力が感じさせられました。



千葉 安房神社 古代日本では八社しかない神郡を持つ各式ある神社”安房神社”にやって来ました!! この神社の創建は神話時代に遡り、日本の初代天皇の「神武天皇元年」(西暦紀元前660年)と伝わります。 時代の変遷の中、人々に忘れられつつある神社ですが、実際に行ってみると、この格式ある神社からは沢山の魅力が感じさせられました。

じつは今回の”安房神社”へは「千葉県立 館山野鳥の森」へ来たときに、施設横を山に向けて伸びるやたらと長い参道が気になり「ここは何かしら??」と偶然の産物で訪れる事が出来ました。 参道からしてこの立派さは、只者じゃない雰囲気を醸し出しています。 ちなみに、野鳥の森から入ってしまったので順番は逆になりますが、1の鳥居を写したTOPの写真は一番最後に撮影しています。 長さはどれぐらいでしょうか??「1の鳥居」からこの写真の「2の鳥居」まで、ざっくりと500Mぐらいありそうな参道です。



じつは今回の”安房神社”へは「千葉県立 館山野鳥の森」へ来たときに、施設横を山に向けて伸びるやたらと長い参道が気になり「ここは何かしら??」と偶然の産物で訪れる事が出来ました。 参道からしてこの立派さは、只者じゃない雰囲気を醸し出しています。 ちなみに、野鳥の森から入ってしまったので順番は逆になりますが、1の鳥居を写したTOPの写真は一番最後に撮影しています。 長さはどれぐらいでしょうか??「1の鳥居」からこの写真の「2の鳥居」まで、ざっくりと500Mぐらいありそうな参道です。

入って直ぐにある社務所ですが、これだけでも本堂と名乗っても良さそうなぐらい立派です。 授与所 ここでは、御札や御朱印等が販売されています。



入って直ぐにある社務所ですが、これだけでも本堂と名乗っても良さそうなぐらい立派です。 授与所 ここでは、御札や御朱印等が販売されています。

300円を支払い、御朱印を頂きました! 私は。決して最近の流行りに乗って御朱印を集め出した訳ではなく、御朱印を小学1年生の時より集め出して四半世紀、25年目のベテラン、サンパイシャーです!



300円を支払い、御朱印を頂きました! 私は。決して最近の流行りに乗って御朱印を集め出した訳ではなく、御朱印を小学1年生の時より集め出して四半世紀、25年目のベテラン、サンパイシャーです!

普段は神社に行っても面倒な作法は守らない私ですが、流石にこの神社ではイカンだろうという事で手水舎で清めてから進みます。  この神社は、日本における産業の神様の総祖神を祀られており、商売繁盛等の金運を司る神様としてしられております。 沢山の絵馬には金の亡・・・(失礼)、沢山の夢が願われています。



普段は神社に行っても面倒な作法は守らない私ですが、流石にこの神社ではイカンだろうという事で手水舎で清めてから進みます。  この神社は、日本における産業の神様の総祖神を祀られており、商売繁盛等の金運を司る神様としてしられております。 沢山の絵馬には金の亡・・・(失礼)、沢山の夢が願われています。

先ずは、この神社の本殿にあたる「上の宮」へ参拝しに行きます。 境内は非常に広く参拝が楽しくなります。 旧官幣大社という事もあり、日露戦役記念碑もあります。



先ずは、この神社の本殿にあたる「上の宮」へ参拝しに行きます。 境内は非常に広く参拝が楽しくなります。 旧官幣大社という事もあり、日露戦役記念碑もあります。

この神社の本宮にあたる「上の宮」には、主祭神として日本の産業創始の神様「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」と、相殿神に天太玉命の妃神「天乃比理刀咩命(あめのひりめのみこと)」の夫婦神が祀られております。 本殿の造りは伊勢神宮と同様の神明造りとなっています。 神代(西暦紀元前660年)に始まったと伝わるこの神社は、奈良時代の養老元年(717年)にこの場所に遷座し、平安時代、近代と篤く信仰されてきました。 ちなみに、この神社を調べる中で興味を持ったのが、「安房」とよばれる地名が、阿波踊り等でしられる現在の徳島に関係しており、伝記によれば神武天皇の命により、肥沃な土地を求められた「天富命(あめのとみのみこと)」が最初に、阿波国(徳島県)に上陸し、開拓をしました。 その後、天富命は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏を引き連れ海路黒潮に乗り房総半島南端に上陸し、この地を開拓しました。 こうした事から、この地は「安房」となったそうです。 



この神社の本宮にあたる「上の宮」には、主祭神として日本の産業創始の神様「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」と、相殿神に天太玉命の妃神「天乃比理刀咩命(あめのひりめのみこと)」の夫婦神が祀られております。 本殿の造りは伊勢神宮と同様の神明造りとなっています。 神代(西暦紀元前660年)に始まったと伝わるこの神社は、奈良時代の養老元年(717年)にこの場所に遷座し、平安時代、近代と篤く信仰されてきました。 ちなみに、この神社を調べる中で興味を持ったのが、「安房」とよばれる地名が、阿波踊り等でしられる現在の徳島に関係しており、伝記によれば神武天皇の命により、肥沃な土地を求められた「天富命(あめのとみのみこと)」が最初に、阿波国(徳島県)に上陸し、開拓をしました。 その後、天富命は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏を引き連れ海路黒潮に乗り房総半島南端に上陸し、この地を開拓しました。 こうした事から、この地は「安房」となったそうです。 

「上の宮」の拝殿は、昭和52年に鉄筋コンクリート造りとなっており、近づいてみると少しガッカリします。 御仮屋 本来は、例祭の時に安房神社周辺の9社(白浜・滝口・神余・佐野・中里・犬石・布良・相浜・洲宮)が神輿を奉安しておく場所ですが、現在は神輿の入祭は行われていないそうです。 近づいて観ると、一画づつ異なる神社の名前が書かれております。



「上の宮」の拝殿は、昭和52年に鉄筋コンクリート造りとなっており、近づいてみると少しガッカリします。 御仮屋 本来は、例祭の時に安房神社周辺の9社(白浜・滝口・神余・佐野・中里・犬石・布良・相浜・洲宮)が神輿を奉安しておく場所ですが、現在は神輿の入祭は行われていないそうです。 近づいて観ると、一画づつ異なる神社の名前が書かれております。

「上の宮」の横にある崖に空いた穴・・・なんでしょう?気になります。 そして、「上の宮」の裏にも何やら祠らしきものが??



「上の宮」の横にある崖に空いた穴・・・なんでしょう?気になります。 そして、「上の宮」の裏にも何やら祠らしきものが??

周りにある看板を読むと吾谷山(あづちやま)から湧き出る「御神水」との事で、お祓い後に邪口をひねりお水取りをするそうです。 蛇口というのが、ちょっと味気ないです。 あと「危険・落石注意・崖に近付かぬ事」という看板が近づかないと見えない位置にあるので少し笑えました。



周りにある看板を読むと吾谷山(あづちやま)から湧き出る「御神水」との事で、お祓い後に邪口をひねりお水取りをするそうです。 蛇口というのが、ちょっと味気ないです。 あと「危険・落石注意・崖に近付かぬ事」という看板が近づかないと見えない位置にあるので少し笑えました。

本殿裏にも洞窟?の様な穴がありますが崖崩れの恐れの為、観る事が出来ないです。 境内には、「館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑」が建てられており、館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生229名の戦没者名が記されております。 また、横には、当時の首相田中角栄揮毫した「海軍落下傘部隊慰霊碑」には、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊43名、第三特別陸戦隊46名の戦没者名が記された慰霊碑が建立されています。



本殿裏にも洞窟?の様な穴がありますが崖崩れの恐れの為、観る事が出来ないです。 境内には、「館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑」が建てられており、館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生229名の戦没者名が記されております。 また、横には、当時の首相田中角栄揮毫した「海軍落下傘部隊慰霊碑」には、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊43名、第三特別陸戦隊46名の戦没者名が記された慰霊碑が建立されています。

「厳島社」 拝殿手前にある巨石は、社殿が出来る前には岩座(いわくら)として、祭神を吾谷山より招いて原始的な祭祀が行われていました。 現在は、弁天様が祀られています。 本殿を向かって右手には「琴平社」があり、航海の安全を守る神様が祀られています。



「厳島社」 拝殿手前にある巨石は、社殿が出来る前には岩座(いわくら)として、祭神を吾谷山より招いて原始的な祭祀が行われていました。 現在は、弁天様が祀られています。 本殿を向かって右手には「琴平社」があり、航海の安全を守る神様が祀られています。

「上の宮」と同様に安房神社の中核をなす社殿「下の宮」へ向かいます。 正に祭壇の様な場所に、社殿があります。



「上の宮」と同様に安房神社の中核をなす社殿「下の宮」へ向かいます。 正に祭壇の様な場所に、社殿があります。

「下の宮」には、天富命(あめのとみのみこと)が祀られております。 天富命は、「上の宮」で祀られている太玉命の神孫で、初代天皇となる神武天皇による大和征服を行った「神武東征」において橿原神宮を造営し、その後阿波国の開拓、続いて房総の開拓を行った神様として知られています。 



「下の宮」には、天富命(あめのとみのみこと)が祀られております。 天富命は、「上の宮」で祀られている太玉命の神孫で、初代天皇となる神武天皇による大和征服を行った「神武東征」において橿原神宮を造営し、その後阿波国の開拓、続いて房総の開拓を行った神様として知られています。 

境内の各社を参拝後、池を観ながら「安房神社」を後にします。 以上で御案内となります。 神代の話が本当なのか、創作なのかは聞いた人の心に委ねるものになりますが、この神社の境内からは縄文時代や弥生時代の遺物が発掘されており、その当時から既に祭祀を行われる神聖な場所として考えられていたと言われています。 また、近年では「金運の御利益が得られる」や、「パワースポット」としても注目されている神社です。 一度、参拝に訪れては如何でしょうか! 御精読ありがとうございました。 境内案内図



境内の各社を参拝後、池を観ながら「安房神社」を後にします。 以上で御案内となります。 神代の話が本当なのか、創作なのかは聞いた人の心に委ねるものになりますが、この神社の境内からは縄文時代や弥生時代の遺物が発掘されており、その当時から既に祭祀を行われる神聖な場所として考えられていたと言われています。 また、近年では「金運の御利益が得られる」や、「パワースポット」としても注目されている神社です。 一度、参拝に訪れては如何でしょうか! 御精読ありがとうございました。 境内案内図

名称        安房神社 所在地   千葉県館山市大神宮589 料金             無料 営業時間      参拝 年中無休 受付 9:00-16:30 駐車場              無料駐車場有 種別              神社仏閣 備考      日本を代表する神社の一社です。 評価  93点



名称 安房神社 所在地 千葉県館山市大神宮589 料金 無料 営業時間 参拝 年中無休 受付 9:00-16:30 駐車場 無料駐車場有 種別 神社仏閣 備考 日本を代表する神社の一社です。 評価 93点