横浜中華街にある三国志の英雄「関羽」を祀る『横浜関帝廟』へ潜入調査!!

横浜関帝廟

横浜中華街にある日本において異色な道教寺院『横浜関帝廟』へ行ってきました! ここは、小説「三国志演義」でも人気の武将で、実在したと伝わる「関羽雲長」が神として祀られる寺院です。 日本の仏教寺院等と比べるとハデハデな「関帝廟」ですが、横浜中華街においては、街に溶け込んだ素敵な寺院となっております。 横浜中華街のパワースポットとして若い女性にも人気の「関帝廟」は、どの様な寺院なのか観てみたいと思います。




横浜中華街

横浜中華街の中央部分にある「横浜関帝廟」へは、飲茶(ヤムチャ)の買い食いが楽しい商店街に抜けて向かいます。 町の至る所で、買ったばかりの小籠包等を頬張る人々がおり、それらを観るだけでも十分楽しいです。

▼『関帝廟』とは!?

関帝廟

「関帝廟(かんていびょう)」とは、中国の三国志時代における「蜀(三国の一国)」の武将で英雄の「関羽雲長」を祀る道教寺院です。 仏教の観音像等が一緒に祀られる事があるので誤解されますが、神道や仏教の施設ではなく日本では珍しい「道教」の寺院です。 本殿中央に祀られる髭の長い人物が「関羽」、そして右側には関羽の養子で武技に秀でた才能を持ったとされる「関平」が祀られ、左側には関羽への忠義を全うした武将「周倉」を配し祀られております。 関羽は、小説「三国志演義」において強い義侠心を持ち、信義に厚い誉れ高い武将として知られております。 関羽は、「樊城の戦い」で「呉(三国の一国)」の計略によって壮絶な戦死をしますが、その死後に生前の威徳を偲び民間信仰が起こり、後の中国王朝によって神格化されていきました。 また、義に厚いとされる関羽が塩の密売に関わっていたとされる伝承から商売の神として祭られ、華僑が世界中に移住した時に、商売繁盛を祈願し居住区に関帝廟を建てた為、世界中の中華街に関帝廟を見ることが出来ます。




関帝廟境内

「関帝廟」境内に入りました。 境内は、思いのほか狭く恐らく100坪程度程の敷地内に所狭しと、中華な装飾が施されております。

お焚き上げ

この塔の様なものは、日本で言うところの「お焚き上げ」をする設備で、稼働している時は非常に面白いです。 燃やすお札を塔の所定個所に置くと炎の風圧で自動的に塔の中に入ってく仕組みになっております。

カラフルな狛犬

狛犬は、日本だけのものかと思っておりましたが、どうやら中国でもあるようですね。

▼『横浜関帝廟』とは!?

横浜関帝廟

「横浜関帝廟」は、幕末に中国からの横浜へ訪れた華僑の人々によって建立された小さな祠を始まりとする道教寺院です。 安政五年(1859年)に開港された横浜へは、貿易を目的に中国含む諸外国から多くの人々が訪れ、外国人居留地(現山下町)で暮らすようになり現在の「横浜中華街」の元型を形成しだしました。 そして、文久元年(1862年)に一人の中国人が現在の「横浜関帝廟」が置かれる場所に関羽の木像を祀る小さな祠を開いたといわれます。 これが「横浜関帝廟」の始まりとされております。 遠い異国の地に住む事になった華僑の人々は、日々の暮らしの安寧や商売繁盛を願う心の拠り処として信仰しました。 そして小さな祠が建てられてから9年後の明治三年(1871年)に華僑の人々による寄付によって、初代となる本格的な關帝廟が建立されました。 その後、明治十九年(1886年)に敷地の拡張が行われ、明治二十四年(1891年)には、大改築が行われ煉瓦の高塀で囲まれる城郭のような関帝廟へとなったと云われております。 しかし、大正十二年(1923年)の関東大震災で中華街と共に2代目の関帝廟も倒壊、それにも負げずに再建するも、次は第二次大戦末期の昭和二十年(1945年)に米軍による横浜大空襲によって、またもや中華街共々、焦土と化し関帝廟は焼失してしまいました。 ここでも負げない華僑の人々は昭和二十二年(1947年)に三代目となる関帝廟を建立します。 ようやくの平和が訪れた「関帝廟」ですが、昭和六十一年(1986年)の元旦に火災に見舞われます。 そして、中華街の総意を受けて現在見られる四代目となる関帝廟を平成二年(1990年)に建立し今に至ります。

▼入場料が必要です

入場料500円

数年前訪れた時は、無料で入れた「関帝廟」ですが、今は本堂内に入るには500円の線香を購入しないといけなくなっておりました。 ちょっと高めな気もしますが、日本では珍しい中国のぶっとい線香なので、これはこれで観る価値はあるかもしれないです。

▼参拝方法

線香台

日本に馴染みの少ない「道教」の参拝方法は難しいかな?と思いましたが、係の方が案内してくれ、順路に沿って番号が振られているので、淡々と参拝することが出来きます。 なので、全部を書くのは大変なので割愛します。

香炉

道教参拝方法

文章にするのが大変なので、掲示されていた看板をご覧ください。




関帝廟

▼本堂内

本堂内部

本堂内部に入りました。 中央部には髭の長い関羽像が祀られております。

▼関羽とは!?

関羽

関羽雲長(かんう うんちょう)は、中国後漢時代末期の将軍で、三国時代の一国である「蜀漢」を建国した劉備玄徳に仕え忠義を尽くした武将として知られております。 伝えられるには一騎当千の武勇を持ち、強い義侠心を持ち、信義に厚い誉れ高い武将として知られております。 ストレートに真っ直ぐ伸びたあご髭がトレードマークの様に認識されており、美しい髭であったとの事から、「美髯公(びぜんこう)」などとも呼ばれおります。

▼さいごに

さいごに

元々は、異国の地に渡った華僑の人々自身の為の寺院でしたが、今では横浜中華街の観光スポットとして多くの人々が訪れる場所になっております。 日本では珍しい彩色豊かなこの「横浜関帝廟」に訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。

▼チャイナタウンには『関帝廟』

p>「横浜関帝廟」の成り立ちと同様に、チャイナタウンが作られる場所には、同地に「関帝廟」も信仰の為に作られる事が多いです。 もちろん、本国である中国各地や、台湾にも大小様々作られております。 関羽の出身地である中国山西省にある「解州関帝廟」は、数ある「関帝廟」の中でも最大規模のものとして、知られており、日本からも多くの三国志ファンが参拝しに行っております。




▼アクセス

住所:神奈川県横浜市中区山下町140