徳河家康に天下統一という出世をもたらした『浜松城』へ潜入調査!!

浜松城

静岡県浜松市中区にある城跡『浜松城』へやってきました! この城は、徳川家康が未だ天下を取る前である29歳から45歳までの壮年期17年間居城とした城で、江戸時代には「浜松城」歴代城主の多くが江戸幕府内で重役に出世した事から「出世城」と云われております。 戦国時代からのパワースポットとして知られる「浜松城」を御案内します。




浜松城公園

浜松城址は、現在「浜松城公園」となっており、城内を除き一般に公開されております。 また、無料の駐車場も完備されており気軽に訪れる事が出来ます。

浜松城

小高い山の山頂に作られた「浜松城」を目指し進みます。

▼浜松城とは!?

浜松城

徳川家康の居城として知られる『浜松城』は、元は「曳馬城(引馬城、引間城)」と云い、戦国時代初期には大河内氏が支配し、戦国時代中期頃までに今川氏親の配下・飯尾氏が支配する時代を経て、戦国時代後期徳川家康の城へとなりました。 この城を家康が治める際に「曳馬」という名称が敗北を連想する「馬を引く」に通じ、縁起が悪い事から、かつてこの地にあった「浜松荘」と呼ばれた荘園に因んで「浜松」と改められました。 その後、家康はこの城を17年間居城とし、力を蓄えたと云われております。 江戸時代からは、主には譜代大名城主となり、9家25代がこの地を納めました。 しかし、明治時代に入った明治六年(1873年)の「廃城令」によって破壊されてしまいました。 それから、昭和二十五年(1950年)に「浜松城公園」となり、昭和三十三年(1958年)に鉄筋コンクリート製の「復興天守」が再建され、現在の天守閣資料館として使われております。




▼三方ヶ原の戦いの舞台

三方ヶ原の戦いの舞台

徳川家康の人生最大の危機として「三方ヶ原の戦い」と「神君伊賀越え」の2つが上げられます。 その内の一つである「三方ヶ原の戦い」を、ココ『浜松城』で徳川家康は、元亀三年(1573年)に迎える事になります。 この戦いは、室町幕府15代将軍・足利義昭による「第二次信長包囲網」に応えた武田信玄によるもので、信玄の「西上作戦」である遠江三河美濃への同時侵攻に端を発します。 圧倒的な兵力と強さで押しつぶすかの様に攻めてくる武田軍団の前に、家康・織田連合軍は手も足も出ず、浜松城籠城する事になりました。 しかし、老練信玄は、一計を案じ家康が篭る浜松城無視するかの様に振る舞います。 この挑発に対し家康は、反対する家臣を押し切り浜松城を出撃し「三方ヶ原」と云われた場所で戦いますが、用意周到信玄の前に壊滅的な敗北をしてしまいます。 戦いで敗れ潰走する家康を追い「浜松城」まで一気に落そうと武田軍団は迫りますが、家康一世一代の計略「空城計」を用います。 「空城計」とは、全ての城門を開いて篝火を焚き、罠が隠されているかのようにワザとらしく装う大胆な計略です。 この計略が功を奏し武田方を欺き退かせ、家康は命を長らえたと云われております。




三方ヶ原の戦い

歴史に「もし」はありませんが、「三方ヶ原の戦い」で徳川家康が討たれていれば、その後の江戸時代はありませんでした。 部下の意見を無視し、絶体絶命を経験した徳川家康は、その後に配下の意見にも耳を傾けたと云われます

▼天守閣

城門入り口

再建された城門を進み、天守閣に進みます。

再建された城門

城門内

浜松城

浜松城本丸

浜松場内へ

現在の天守閣資料館として使われており、模型ジオラマを使った展示から、当時のゆかりの品々見学する事が出来ます。

天守閣からの風景

▼野面積みの石垣

野面積みの石垣

この「浜松城」は、「野面積み(のづらづみ)」の石垣有名な城で、石垣も見どころの一つです。 野面積みとは、自然にあるを加工せずにそのまま積み上げる技法で、築城が行われだした初期の石積法です。 主な特徴は、石の形統一性無く、一見乱雑に組まれた石同士が噛み合ってい無い点です。 石同士が噛みあっていない為、隙間凹み出っ張りがあり、戦の際に敵に登られやすい問題はありますが、溜まった雨水が石垣の隙間から逃げる事ができる為、排水性に優れており、頑丈となっております。




野積みの石垣

野積みの石垣

▼歴代城主(藩主)

歴代城主(藩主)

徳川家にとって重要な「浜松城」には、江戸時代260年間に譜代の大名である25代が平均約12年城主となりました。 その中には、江戸幕府要職である老中5名も就くなど、出世した者も多い事から、浜松城は「出世城」と云われております。 




以下に、浜松城の歴代城主を纏めてみました。

 □ 徳川家康 1570 ~ 1586
 ■ 菅沼定政 1586 ~ 1590
 ■ 堀尾吉晴 1590 ~ 1599 (元秀吉の家臣)
  □堀尾忠氏 1599 ~ 1600
 ■ 松平忠頼 1601 ~ 1609
 ■ 水野重仲 1609 ~ 1619
 ■ 高力忠房 1619 ~ 1638
 ■ 松平乗寿 1638 ~ 1644 老中
 ■ 太田資宗 1644 ~ 1671
  □太田資次 1671 ~ 1678
 ■ 青山宗俊 1678 ~ 1679
  □青山忠雄 1679 ~ 1685
  □青山忠重 1685 ~ 1702
 ■ 松平資俊 1702 ~ 1723
  □松平資訓 1723 ~ 1729
  □松平信祝 1729 ~ 1744 老中
  □松平信復 1744 ~ 1752
  □松平資訓 1749 ~ 1752
  □松平資昌 1752 ~ 1758
 ■ 井上正経 1758 ~ 1766 老中
  □井上正定 1766 ~ 1786
  □井上正甫 1786 ~ 1817
 ■ 水野忠邦 1817 ~ 1845 老中
  □水野忠精 1845 ~ 1845
 ■ 井上正春 1845 ~ 1847
  □井上正直 1847 ~ 1868 老中

▼さいごに

池

以上で、天下を取る前の徳川家康壮年期に住み、江戸時代になってからは多くの幕閣を輩出した事から出世城と云われる『浜松城』の御案内となります。 現在の天守は、再建されたコンクリート造りのものとなっておりますが、石垣などは当時のものが残されている貴重な城でした。 江戸時代の出世にあやかりに訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。




▼アクセス

電車 1:JR東海道本線「浜松駅」下車 徒歩約20分

電車 2:遠州鉄道鉄道線「新浜松駅」下車 徒歩約20分

バス:「浜松駅」より遠鉄バス乗車、「市役所前」、「市役所南」、「美術館」、「浜松城公園入口」のいずれかにて下車